育児
2003年12月3日今日、1歳七ヶ月の女の子とそのお母さんに会った。
お子さんとは、久しく会っていなかったので、その成長に驚かされるのと同時に、お母さんの悩みを聞いて驚いた。
簡単に言えば、育児の方針が立たないというのである。
例えば、『こどもが危ないことをしようとしたとき、「ダメ!」と言ってはいけないんだってね』とか、『まず要求を聞いてあげることが大切なんだって』とか、育児書なるもの情報はいろいろ言うのであるが、一方で『お医者様のところで泣いたり喚いたりするのはうちの子だけで困る』と嘆いたり、男(ここでは旦那さん)はこどもが生まれてからも、そうそう生活様式は変わらないのに、女(ここでは奥さん=わたくしがあった人)はいろいろなことが様変わりすると溜息を漏らしてみたり・・・。
自然界で、これだけ手間のかかる育児が必要なのは、おそらく人類だけであろう。
そのほとんどを担うお母さんの重労働は気の遠くなるものだと思う。
これを、正しく理解し、奥様の休暇を作るとか、生活様式を自分も変える旦那さんであったら、どれだけラクであろうか。
せめても、気にかけてくれただけでも、だいぶ楽になると言う女性は数多くいる。
しかしながら、育児とは一体なんであろうか?
育児に正解などあるのだろうか?
かく言うわたくしもほとんど一人で生まれたての赤ん坊を2歳まで育てたことがあるが、
育児は、好き勝手にやればよろしいと思っている。
もちろん、生存に関わる問題はすべてクリアーしなければならないし、ある程度の考えは必要である。
しかし、危ないことをしたときに「ダメ!」と云うのは一向に構わないではないだろうか。
要求を無視することがあっても、問題はない。
世の中とはそういった、それぞれの事情で動いているのであるから、それがこどもの育児に入ってくるのは当然のことであり、清濁合わせてこどもは育つ。
わたくしは、私生児で生まれ、ほとんど父親のことは知らない。
両親を早くに亡くし、施設に生まれ育ったこどもも数多くいる。
だからと言って、こどもが不幸になることはない。
むしろ、そのように勝手な理想を描いて、押し付けられる方がよっぽど不幸である。
自分のことは棚に上げて、こどもに必要以上の教育を過剰に押し付けて、それがこどもの為だと信じている両親より、わたくしの母親のようにその部分で放任していた片親の方がわたくしには、よっぽど嬉しかったし、感謝している。
お子さんとは、久しく会っていなかったので、その成長に驚かされるのと同時に、お母さんの悩みを聞いて驚いた。
簡単に言えば、育児の方針が立たないというのである。
例えば、『こどもが危ないことをしようとしたとき、「ダメ!」と言ってはいけないんだってね』とか、『まず要求を聞いてあげることが大切なんだって』とか、育児書なるもの情報はいろいろ言うのであるが、一方で『お医者様のところで泣いたり喚いたりするのはうちの子だけで困る』と嘆いたり、男(ここでは旦那さん)はこどもが生まれてからも、そうそう生活様式は変わらないのに、女(ここでは奥さん=わたくしがあった人)はいろいろなことが様変わりすると溜息を漏らしてみたり・・・。
自然界で、これだけ手間のかかる育児が必要なのは、おそらく人類だけであろう。
そのほとんどを担うお母さんの重労働は気の遠くなるものだと思う。
これを、正しく理解し、奥様の休暇を作るとか、生活様式を自分も変える旦那さんであったら、どれだけラクであろうか。
せめても、気にかけてくれただけでも、だいぶ楽になると言う女性は数多くいる。
しかしながら、育児とは一体なんであろうか?
育児に正解などあるのだろうか?
かく言うわたくしもほとんど一人で生まれたての赤ん坊を2歳まで育てたことがあるが、
育児は、好き勝手にやればよろしいと思っている。
もちろん、生存に関わる問題はすべてクリアーしなければならないし、ある程度の考えは必要である。
しかし、危ないことをしたときに「ダメ!」と云うのは一向に構わないではないだろうか。
要求を無視することがあっても、問題はない。
世の中とはそういった、それぞれの事情で動いているのであるから、それがこどもの育児に入ってくるのは当然のことであり、清濁合わせてこどもは育つ。
わたくしは、私生児で生まれ、ほとんど父親のことは知らない。
両親を早くに亡くし、施設に生まれ育ったこどもも数多くいる。
だからと言って、こどもが不幸になることはない。
むしろ、そのように勝手な理想を描いて、押し付けられる方がよっぽど不幸である。
自分のことは棚に上げて、こどもに必要以上の教育を過剰に押し付けて、それがこどもの為だと信じている両親より、わたくしの母親のようにその部分で放任していた片親の方がわたくしには、よっぽど嬉しかったし、感謝している。
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