能力

2003年12月6日
昨日、能力の話はまた別の日にと書いたので、今日は能力について考えてみた。
一般に能力が高い人は評価される傾向にある。
求人広告にも、能力給などと云う言葉が羅列されているところを見ると、能力の高い人間は給与も高い。
だから人は能力を高く身に着けようとするのであろう。
しかし、能力の低い人はどうすればよいのだろうか?
いやその前に、そもそも能力とは一体なんだろうか?

例えば、江戸時代にコンピュータを扱わせたら非常に高い能力を発揮する人がいたら評価されるだろうか?
そもそも、コンピュータなどない時代なのであるから、それは到底無理な話であろう。
現代に居合い義理の達人がいて、就職する際に面接でそれを披露したら、有利であろうか?

また、周囲を海に囲まれた小さな島で泳げない人であるとか、湖も池も川もないような、水と縁のないところに、泳ぎのうまい人が来ても、果たして評価されるであろうか。

能力とはその時代や場所で、あるいはまたそれを認める周囲があって、初めて評価されるものであって、わたくしたちが存在している現代においてのある場所で、言ってみれば瞬間に存在するものでしかない。

そのようなもので、暮らしの上下や、給与の上下を決めている様が不思議でならない。

脳障害の子供たちを取り上げた番組で、「でも彼らには表情があり、わたくしたちが失いかけた輝きがあるんです」と云う意味のことを言っていたが、それが真実であるかどうか以前に、この言葉が番組として流された背景には、どこまで行っても「能力のないのはまずい」と云う強迫観念さえ感じてしまう。

では表情もなく輝きもないものは「価値」がなく、あるいは低く、能力がないとされるのだろうか?

わたくしに言わせれば、それはわたくしたちのある時代のある場所でしか映し出せないいわば「幻」に振り回されたものであって、どう存在しようとも、それにはある価値があり、ある能力がある。
それを今の何かにとって限定的に、価値を認めないだけであり、それはまた同時に今でもなくここでもない場所で、大いに価値を認め、能力を認める存在なのだと思う。

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