一人ひとり

2003年12月16日
政府などの刊行物や、行政などのチラシ、あるいはまた、選挙時に候補者からの訴えの文言などに出てくる、「一人ひとり」という言い回し。
「みなさん一人ひとりが自覚を持って行動すれば、このようなことはなくなる云々」「みなさん一人ひとりのご支援をいただければ、必ず実行いたします」などと云うのがその使い方で、よく耳にするし、わたくしも自覚はないにしろ、時々使う。
「一つひとつを丁寧に〜」なんて変形バージョンもあって、使い方いろいろだが、この用法の意図するところは同じであろう。
呼びかけの効果とも言うべきこの言い回しは、例えば「あなたたち」とか「お前ら」とか、あるいはまた「それら」と置き換えたら、よくわかる。
では一体なぜ、「一人ひとり」と云う言い回しがこうも多用されるのか?

以前に人口過密のことを話したが、このこととこの多用は関係があると感じている。

例えば、数人の集団で、「一人ひとり」と云う言い方の効果は少ない。
各人にそれぞれ違った言い方が可能だからだ。
現実的に相手の立場や背景に応じた、言葉の選択が可能なときに、全体を一括する必要が無いから、当然、個々に対応したほうが何かと効果が上がる。
それでも全体を一括して相手にするのは、その方式が何か別の有効性を持った時であろう。
例えば、形式的な会議が好きだ、上下関係を見せ付けたい、あるいはまたそのような関係を思い知らせるため、などという場合である。

従って、人が大勢集まっている都市であるとか、町であるとか、そのような場所において、ある組織や、集団の中から意図的に発せられる文書や言葉には、「一人ひとり」「一つひとつ」と云う言い回しが有効性を帯びてくる。

しかしこのような言い回しで果たして現実的な効果はあるのだろうか?
むしろ読む側・聞く側は、このような言い回しがあるとき、大きな集団から個人に発せられる時の独特な用法を感じるのではないだろうか?
特に選挙時に候補者などから「みなさん一人ひとりの声が大切です」といいながら、彼らが直接ないしは間接的に声を聞いているのを、あまり見たことがない、そのような話もほとんど聞かない。

ということは、実際には中身と違うことが行われ(そうでない場合もあるだろうが、ほとんどない)しかも、それを受け止める方もそれが自分自身に向けられていないことを充分承知していて、(一人ひとりの一人に自分自身は入っていない)なおかつそのような言い方に何の効果があるのだろう?

呼びかける方は、集団の全体に呼びかけているのに、その個人、「一人ひとり」に呼びかけていると錯覚している、または、錯覚したいと考えている。
つまり、繋がっていない関係だから、あたかも繋がっているかのような言い回しが成立するのであって、普段から繋がっている関係においてこのような言い回しは成立しない。

繋がりの薄さは、人口過密が進めば進むほどなくなり、都市においては、「一人ひとり」の意見を聞くことや、「一人ひとり」の生活を考えることは不可能であろう。
多数決が良いとはいえないが、事実選挙そのものは、数字で決まる。
なのに、「一人ひとり」に呼びかけているこの薄気味悪さ。
呼びかけられたほうも、ほとんどが自分は関係ないと思っている、この奇妙な言い回し。
このような、言い回しは「一人ひとり」が自覚を持てばなくなるであろう

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