若い頃は・・・

2003年12月17日
暴走族がうるさい。
夜、国道を我が物顔に走るバイクと車の集団。
道路交通法違反を繰り返し、爆音を撒き散らしながら走る様は、まさに狂気の集団で迷惑この上ない。
本人たちに言わせれば、毎日がつまらないことや、苦しいこと、悔しいことの繰り返しであり、またそのような状況に置かれたのは、自分自身の問題でもあるが、社会が悪い、政治が悪い、要は他者に責任転嫁している、被害妄想集団である。
同じような状況に置かれながら、それらの艱難辛苦に耐え、自身を高めていく、若い人もたくさんいるのだから、甘ったれた愚か者であろう。
しかし反面誰にでもそのような一面はあり、それだけで彼らを攻めることは出来ない。
繰り返しこの日記でも書いているように、問題はそのような自身の正当化の方法であり、その方法がもたらす実害である。

このような爆音を都会で撒き散らせば、眠れない人々や、交通の混乱によって仕事を妨害される人もいるであろう。
それだけが問題であると思う。
例えば、これがスタジオなどの防音装備のあるところで、大音響でエレキギターをかき鳴らすとか、バッティングセンターで、球に怒りをぶつけるとか、そういった解消であれば何ら問題はないのだから。

ところで、このような若い集団に対して、「オレも若い頃はああいうバカなことをしたものだ、ああいうのはハシカみたいな物で、そのうち治る」と云う人がいる。
わたくしが経験しただけでも、この種のことを言う人は実に多い。
バカなことを言ってもらっては困る。

この種の発言をする意図は、主に二つある。
一つは、過去における自己の正当化であり、一つは、「理解」を示す人間として自己を大きく見せる効果であろう。
若い頃には誰しも、幻想と現実のギャップに悩み、苦しむことはあると思う。
特に、親の元で育てられたり、ある種の集団教育の中で育てられたりする人間は、その親や集団の原理原則を信じて大きくなるのだから、その原理原則に合わない場面、すなわち新たな集団や、組織に組み入れられれば、混乱するだろうし、すんなりその書き換えがうまくいかないのは当然である。
だからと言って、暴走行為が許されるわけではない。
混乱するからと言って、他者に甚大な被害を及ぼせる権利などどこにもない。
自身が過去に、そのようなとんでもないことをしたことを、どこか誇らしげに語る人は、そのような行為そのものは一切反省せず、その後そのような行為をしていないと自己を認識し、それを成長と呼び、成長していなかった自身を懐かしんでいるようでもある。
わたくしも、中年と呼ばれる歳であるから、当然若い頃には、恥ずかしくてとても他人には言えないひどいことをしてきた。
それは、動機があり、それを解決する方法があり、その結果がある。
そして、動機そのものについては、あまり重要視していない。
問題は解決方法である。
そのような、他者に被害が及ぶような解決を選択したのはなぜなのか、それを対象化して、そのような選択を二度としないように、深く反省するとともに、そのような選択を回避するいくつかの新たな方法を選び実行し、成長するのである。

そのような反省、新たな方法の発見、発明をせずに、自己を正当化した人は、自身でも質は変わっていなくて、ただ量が変化しただけのことなのに、それを成長と呼んでいるに過ぎないのであって、その人が権力を持ったり、権力を動かせる立場に立ったりすれば、たちまち、若い頃にした過ちを同じように繰り返すであろう。

そしてそのような立場に立てず、現実に屈服した、自身からすれば歪んだ自我を潜在的には、否定している。
なぜなら、その人はただ現実的には愚かな行為を続けることが困難になったから止めたのであり、自身が質的に変化したからではないからである。

そのような屈折した自我の抑圧を、若いおろかな連中が解き放ってくれるかのように、目を細めて喜んでいる。
その上に始末が悪いのは、そのような自己正当化の果てに、そのような愚かな連中に「理解」を示している自己を「大きな」人間と勘違いしている。

このような潜在的な愚かな人間は、この社会に大勢いて、何かのきっかけで権力を持てば、必ずや社会を暗黒に導くと思われる。
いやぁ、おっかないですねぇ、人の世は・・・

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