戦争
2003年12月27日最近、NHKで「映像の世紀」と云う番組をやっていて、20世紀の後半、世界がどのような形で動いてきたか、二度にわたるの世界大戦とは一体なんだったのか、などと云うことを当時の映像を映し出しながら、放映していた。
さて、人類の歴史はまさに戦争の歴史であり、日本の徳川時代のような約250年続いた戦争のない時代は特別だったと思えるほどの、凄まじさである。
特に第二次世界大戦での死者は6500万人にのぼり、そのほとんどが武器も持たない市民であったというから驚きである。
なぜ、こうも人類は戦争を好むのであろうか?
歴史や経済を専攻している、多くの学者は資本主義や帝国主義が、その原因としているが、資本主義や帝国主義を支えてきたもの、あるいはそれらと一緒に夢見てきた者たちがいるからこそ、そのように世界大戦にまで拡大したのであって、では、そのような夢、あるいは野望の正体は一体何であったのか?
どうやら、幼い子供の喧嘩も、世界大戦も同じ原理で動いているように思う。
人は、自己不安を解消するために、自己を拡大する傾向があり、そのテリトリー、所有物、占有物を増やそうとする、それも必要以上にである。
人類以外の動物は、備蓄することは本能的にほとんどなく、あってもそれは冬眠のためにやむをえなくとか、環境的にそのような優位選択がなされたに過ぎないのであって、過剰な備蓄や、その備蓄が富となって、他者の上に立つなどという、馬鹿げたことを得意とするのは人類のみであろう。
これは、不安の正体が、自己の万能性を疎外されたことによるもので、それを取り戻そうとする、人類の自我は、暴走すると歯止めが利かない。
言うまでもなく、平和であるためには、話し合い、理解しあうことが大切であり、互いを尊重することは必須の事項である。
どうしても理解できないのであれば、互いに不可侵であればよいのである。
これが出来ない、放っておけば必ず自己の領野に相手が踏み込んでくるとか、自己が崩壊の憂き目にあうとかの、被害妄想や恐れから、相手が手を出す前に、「正当な」自衛手段と称して、相手を攻撃する。
それは、戦う両方に備わっている偽善であるが、当人同士は自分が正しいと信じているから、自分の愚かさをチェックできない。
その結果、喧嘩、戦争になる。
もちろん、人類には攻撃的な本能行動がある程度備わっているので、この影響も無くはないだろうが、そのような本能行動とは別の次元で、戦争は続けられている。
従って、自己不安、自己が崩壊するという被害妄想、これらを解決すれば、事は簡単であろう。
大量破壊兵器があるはず、だからそれらが暴発する前にと、イラクを攻撃したアメリカこそ、世界で最大の大量破壊兵器を持つ国であり、劣化ウラン弾などの恐ろしい平気で打ち込む人道的にも許せない悪行をしている。
イラクはイラクで、大量の殺人をフセイン政権で行った狂気の国家であり、どちらもどちらであり、正しさを云々できることは両国とも出来ない。
そして、いつもそのような愚かな戦争の犠牲になるのは、ごく普通の静かに暮らしている市民であり、
おそらく、どちらの国が正しいとかのイデオロギーなどを持っていないものたちであろう。
願わくば、早く人類が自らの不安、被害妄想を、解決する方法で自我を獲得できるようになりたいものである。
さて、人類の歴史はまさに戦争の歴史であり、日本の徳川時代のような約250年続いた戦争のない時代は特別だったと思えるほどの、凄まじさである。
特に第二次世界大戦での死者は6500万人にのぼり、そのほとんどが武器も持たない市民であったというから驚きである。
なぜ、こうも人類は戦争を好むのであろうか?
歴史や経済を専攻している、多くの学者は資本主義や帝国主義が、その原因としているが、資本主義や帝国主義を支えてきたもの、あるいはそれらと一緒に夢見てきた者たちがいるからこそ、そのように世界大戦にまで拡大したのであって、では、そのような夢、あるいは野望の正体は一体何であったのか?
どうやら、幼い子供の喧嘩も、世界大戦も同じ原理で動いているように思う。
人は、自己不安を解消するために、自己を拡大する傾向があり、そのテリトリー、所有物、占有物を増やそうとする、それも必要以上にである。
人類以外の動物は、備蓄することは本能的にほとんどなく、あってもそれは冬眠のためにやむをえなくとか、環境的にそのような優位選択がなされたに過ぎないのであって、過剰な備蓄や、その備蓄が富となって、他者の上に立つなどという、馬鹿げたことを得意とするのは人類のみであろう。
これは、不安の正体が、自己の万能性を疎外されたことによるもので、それを取り戻そうとする、人類の自我は、暴走すると歯止めが利かない。
言うまでもなく、平和であるためには、話し合い、理解しあうことが大切であり、互いを尊重することは必須の事項である。
どうしても理解できないのであれば、互いに不可侵であればよいのである。
これが出来ない、放っておけば必ず自己の領野に相手が踏み込んでくるとか、自己が崩壊の憂き目にあうとかの、被害妄想や恐れから、相手が手を出す前に、「正当な」自衛手段と称して、相手を攻撃する。
それは、戦う両方に備わっている偽善であるが、当人同士は自分が正しいと信じているから、自分の愚かさをチェックできない。
その結果、喧嘩、戦争になる。
もちろん、人類には攻撃的な本能行動がある程度備わっているので、この影響も無くはないだろうが、そのような本能行動とは別の次元で、戦争は続けられている。
従って、自己不安、自己が崩壊するという被害妄想、これらを解決すれば、事は簡単であろう。
大量破壊兵器があるはず、だからそれらが暴発する前にと、イラクを攻撃したアメリカこそ、世界で最大の大量破壊兵器を持つ国であり、劣化ウラン弾などの恐ろしい平気で打ち込む人道的にも許せない悪行をしている。
イラクはイラクで、大量の殺人をフセイン政権で行った狂気の国家であり、どちらもどちらであり、正しさを云々できることは両国とも出来ない。
そして、いつもそのような愚かな戦争の犠牲になるのは、ごく普通の静かに暮らしている市民であり、
おそらく、どちらの国が正しいとかのイデオロギーなどを持っていないものたちであろう。
願わくば、早く人類が自らの不安、被害妄想を、解決する方法で自我を獲得できるようになりたいものである。
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