音楽
2003年12月28日パズルと音楽の作家と称しておきながら、その種の話の無いのも何だかさびしいので、今日は音楽について書いてみようと思う。
わたくしは、ジャンルと言うものがよく分からない。
もちろん、ジャズだのブルースだのと言われれば、それなりにある程度のイメージは出来るが、それ以上の区分については不明である。
クラッシック音楽も民俗音楽もどれがどうだと言うことについても、同様に不明な点が多いが、ジャンルにこだわり無く、わたくしが好んでいる音楽にはいくつかの共通点があるようだ。
まず、リズムである。
リズムと言うのは実に不思議なもので、実際の演奏などではあまり一定なものではなく、揺れがある。
このリズムの揺らぎは、全体の盛り上がりとか、演奏が濃淡とか、に左右される。
そして、リズムはリズムを刻む打楽器などだけにあるのではなく、唄やバックで流れるコーラスなどにも潜んでいて、これを作り出すのも中々味わいのある作業だと思う。
リズム感が良いとか悪いとか、ノリが良いとか悪いとかは一体どこから来るのか?
これは、音楽を体感している人それぞれに違いがあると思う。
現代の流行の音楽などでは、ロックンロール音楽などの影響で、例えば8拍子の中の3拍目と7拍目に強拍がある形とか、いわゆる裏ノリと呼ばれる(こんな言い回し古臭くて今は誰も使わないかな)形とが、ノリの良い音楽とされているようだが、わたくしに言わせれば、これも単なる流行であって、世界には様々なリズムの形態があり、もっといろいろなリズムがメディアから流れてきてもよさそうなものである。
悲しいかな、今流行音楽を楽しんでいる人たちは、今までの様々な音楽を楽しもうにも、資本の関係から、世に売り出されていない(廃盤になったものや、記録にすら残ってないものまで)物に出会うことは難しく、従って流行りの音楽からしか自分にあったものを選ぶ作業になる。
その昔、FM東京かNHKFMか忘れたが、小泉と言う民族音楽の研究者がいて、毎朝(毎晩?)午前三時頃から「世界の民族音楽」という番組をやっていて、そこでは中近東やアフリカ、あるいはオセアニアの音楽などを取り上げていて、自分が今まで聴いた音楽とは随分趣の異なったその響きやリズムに驚かされたものである。
そうはいっても、結局好きなんだからそれでいいじゃんという人もいて、とどのつまり音楽は好き好きであるが、人類の残した様々な趣向を楽しめずに終わるなんて、どこか勿体無い話で、そこで何とか変わった音楽を自分で作れないかと日々考えては作り出そうとしている。
次にメロディーであるが、これも今ある流行歌はみんなどこかで聴いたようなものばかりで、何かの焼き直しの行列みたいなもので、新鮮なものはほとんどない。
やはりこれも、西欧音楽の平均律が呪いでもかけているかのようである。
先日武満徹の合唱曲を聞く機会があったが、なにしろ8声!のもので、今聴いてもその新鮮さ、素朴さ、そして緻密な計算には驚かされた。
何よりメロディーのラインが素朴で美しい。
このような音楽は、ほとんどの人の耳に入ることなく終わってしまうのかと思うとこれもどこかさびしい話である。
わたくしはカラオケも好きで、自宅のコンピュータにそのシステムを取り込んだが、いざ歌おうとしても、自分の好きな歌はほとんどなかった。
「月光値千金」や「りんごの木の下で」・・・・・。
結局、お金にならないのか、こういう歌を歌う人がいないんでしょうね。
残念。
わたくしは、ジャンルと言うものがよく分からない。
もちろん、ジャズだのブルースだのと言われれば、それなりにある程度のイメージは出来るが、それ以上の区分については不明である。
クラッシック音楽も民俗音楽もどれがどうだと言うことについても、同様に不明な点が多いが、ジャンルにこだわり無く、わたくしが好んでいる音楽にはいくつかの共通点があるようだ。
まず、リズムである。
リズムと言うのは実に不思議なもので、実際の演奏などではあまり一定なものではなく、揺れがある。
このリズムの揺らぎは、全体の盛り上がりとか、演奏が濃淡とか、に左右される。
そして、リズムはリズムを刻む打楽器などだけにあるのではなく、唄やバックで流れるコーラスなどにも潜んでいて、これを作り出すのも中々味わいのある作業だと思う。
リズム感が良いとか悪いとか、ノリが良いとか悪いとかは一体どこから来るのか?
これは、音楽を体感している人それぞれに違いがあると思う。
現代の流行の音楽などでは、ロックンロール音楽などの影響で、例えば8拍子の中の3拍目と7拍目に強拍がある形とか、いわゆる裏ノリと呼ばれる(こんな言い回し古臭くて今は誰も使わないかな)形とが、ノリの良い音楽とされているようだが、わたくしに言わせれば、これも単なる流行であって、世界には様々なリズムの形態があり、もっといろいろなリズムがメディアから流れてきてもよさそうなものである。
悲しいかな、今流行音楽を楽しんでいる人たちは、今までの様々な音楽を楽しもうにも、資本の関係から、世に売り出されていない(廃盤になったものや、記録にすら残ってないものまで)物に出会うことは難しく、従って流行りの音楽からしか自分にあったものを選ぶ作業になる。
その昔、FM東京かNHKFMか忘れたが、小泉と言う民族音楽の研究者がいて、毎朝(毎晩?)午前三時頃から「世界の民族音楽」という番組をやっていて、そこでは中近東やアフリカ、あるいはオセアニアの音楽などを取り上げていて、自分が今まで聴いた音楽とは随分趣の異なったその響きやリズムに驚かされたものである。
そうはいっても、結局好きなんだからそれでいいじゃんという人もいて、とどのつまり音楽は好き好きであるが、人類の残した様々な趣向を楽しめずに終わるなんて、どこか勿体無い話で、そこで何とか変わった音楽を自分で作れないかと日々考えては作り出そうとしている。
次にメロディーであるが、これも今ある流行歌はみんなどこかで聴いたようなものばかりで、何かの焼き直しの行列みたいなもので、新鮮なものはほとんどない。
やはりこれも、西欧音楽の平均律が呪いでもかけているかのようである。
先日武満徹の合唱曲を聞く機会があったが、なにしろ8声!のもので、今聴いてもその新鮮さ、素朴さ、そして緻密な計算には驚かされた。
何よりメロディーのラインが素朴で美しい。
このような音楽は、ほとんどの人の耳に入ることなく終わってしまうのかと思うとこれもどこかさびしい話である。
わたくしはカラオケも好きで、自宅のコンピュータにそのシステムを取り込んだが、いざ歌おうとしても、自分の好きな歌はほとんどなかった。
「月光値千金」や「りんごの木の下で」・・・・・。
結局、お金にならないのか、こういう歌を歌う人がいないんでしょうね。
残念。
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