ブルース
2004年1月6日わたくしは、民族音楽が好きで、特にアメリカのブルースは数多く聴いている。
音楽が好きな理由など文章に書けないものかも知れないが、ブルースに関する面白い話がいくつかあるので、今日はそれを書くことにした。
まず、ブルースが他の音楽と一番異なるところは、その形式に依存する形であろう。
詳しいことを書くときりがないので省略するが、ブルースを演奏する音楽家が集まると、何の決め事もしないで、キー(基準となる音の高さ)を決めればたちどころに、演奏が可能である。
これは、キーに合わせて、最初の何小節がどのキーか、そして次の何小節がどのキーであるかなどと云う楽曲形式が決まっているからであり、もちろん曲によっては多少の違いはあるにせよ、基本はすべて同じである。
そして次に特徴的なのは、個人的な歌詞の内容である。
「おれは、腹が減って十字路にへたり込んだ、友達のウィリーブラウンによろしく、おいらは元気でやっているから」と云うのは十字路ブルース(クロスロードブルース)で、作者のロバート・ジョンソンはデルタ・ブルースの神様と言われた天才である。
このように、非常に個人的な歌詞の内容を、みんなの前で演奏して聞かせるのは、実はあまりない形式である。
現代でも時々このような形式を見ることもあるが、それは稀で大抵どこか抽象的であり、歌詞の中のオレとかオマエは何かに置き換えられている場合が多い。
そして、これがブルースを永遠の音楽にして、不滅のモノとするところだろうが、ブルースはその形式を離れてブルースとして存在できることだろう。
1920年代に派生してきたブルースはチャーリ・パットン〜ロバート・ジョンソンと言うデルタブルースの流れから、ジューク・ジョイント(南部から北部へ黒人労働力が北へ向かう途中の中継点=メンフィスなどがこれに当たる)を経てシカゴへ、そこではジミー・ロジャースやマディー・ウォーターズなどのアーバン・ブルース(都会型)その頃から、ロックン・ロール音楽と結びついて発展、今も何らかの形を成して、受け継がれている。
「わたしが、朝起きると、部屋はブルースで満たされていた」とか「ブルースが私のところへ来て」とか、とかくその頃(1920年代)の黒人の中ではブルースは特殊な何かであった。
生活全般を覆っている感性や感覚的なもの、ブルース=憂鬱なと言うのははっきり間違いであり、そのようなものではなく、当時の彼らを縛っていたあるいは、彼らにしか感じられないある種の感覚的なものだと言えよう。
そして、その感覚は、アフリカから奴隷としてアメリカに渡り、中にはひどい仕打ちを受けたものもいたが、概ねそれなりの生活をしていた彼ら、まさに世界的に前例のない稀有な民族の音楽として次世代へと受け継がれていくものだろう。
音楽が好きな理由など文章に書けないものかも知れないが、ブルースに関する面白い話がいくつかあるので、今日はそれを書くことにした。
まず、ブルースが他の音楽と一番異なるところは、その形式に依存する形であろう。
詳しいことを書くときりがないので省略するが、ブルースを演奏する音楽家が集まると、何の決め事もしないで、キー(基準となる音の高さ)を決めればたちどころに、演奏が可能である。
これは、キーに合わせて、最初の何小節がどのキーか、そして次の何小節がどのキーであるかなどと云う楽曲形式が決まっているからであり、もちろん曲によっては多少の違いはあるにせよ、基本はすべて同じである。
そして次に特徴的なのは、個人的な歌詞の内容である。
「おれは、腹が減って十字路にへたり込んだ、友達のウィリーブラウンによろしく、おいらは元気でやっているから」と云うのは十字路ブルース(クロスロードブルース)で、作者のロバート・ジョンソンはデルタ・ブルースの神様と言われた天才である。
このように、非常に個人的な歌詞の内容を、みんなの前で演奏して聞かせるのは、実はあまりない形式である。
現代でも時々このような形式を見ることもあるが、それは稀で大抵どこか抽象的であり、歌詞の中のオレとかオマエは何かに置き換えられている場合が多い。
そして、これがブルースを永遠の音楽にして、不滅のモノとするところだろうが、ブルースはその形式を離れてブルースとして存在できることだろう。
1920年代に派生してきたブルースはチャーリ・パットン〜ロバート・ジョンソンと言うデルタブルースの流れから、ジューク・ジョイント(南部から北部へ黒人労働力が北へ向かう途中の中継点=メンフィスなどがこれに当たる)を経てシカゴへ、そこではジミー・ロジャースやマディー・ウォーターズなどのアーバン・ブルース(都会型)その頃から、ロックン・ロール音楽と結びついて発展、今も何らかの形を成して、受け継がれている。
「わたしが、朝起きると、部屋はブルースで満たされていた」とか「ブルースが私のところへ来て」とか、とかくその頃(1920年代)の黒人の中ではブルースは特殊な何かであった。
生活全般を覆っている感性や感覚的なもの、ブルース=憂鬱なと言うのははっきり間違いであり、そのようなものではなく、当時の彼らを縛っていたあるいは、彼らにしか感じられないある種の感覚的なものだと言えよう。
そして、その感覚は、アフリカから奴隷としてアメリカに渡り、中にはひどい仕打ちを受けたものもいたが、概ねそれなりの生活をしていた彼ら、まさに世界的に前例のない稀有な民族の音楽として次世代へと受け継がれていくものだろう。
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