叔母の死

2004年1月10日
昨年の秋、叔母が死んだ。
享年73、平均寿命から言えば早い死と言える。
母は4人姉妹の上から二番目で、長姉は養老院、三番目の妹は音楽関係の新聞を発行して現役、今回死んだ叔母は末妹で三番目の妹と同居して、身の回りの世話をしていた。
ちなみに、母も人材派遣業を営んでいて、今も現役である。
叔母は、十年くらい前まで山手線沿線で、「猫の尻尾」と云う意味のドイツ語の名前をつけた喫茶店を経営していたが、あまり儲からなかったのか、数年でさっさと店をたたんでしまった。
こうしてみると、我が家系はわたくしも含めて、みんな雇われているのが性分に合わないのか、何らかの形で独立している。

姉妹で、互いを呼び合うときに、母はその名前をもじって「シコ」、三番目の妹は「バンブ」、今回死んだ末妹は「オミヨ」としていた。

オミヨさんは、車を運転中に死んだ。
死因は心臓の周囲の血管が破裂してのことらしいが、詳しいことはわからない。
車を運転中におそらく、おそらく気分が悪くなり、側道に止めたものの、やはりきちんとは止められず、後方から来た車の運転手が、前の車の中の様子がおかしいと、救急車を呼んだが、手遅れだったようだ。

驚いたのは、警察に呼ばれた母も30数年間同居していたバンブも、オミヨさんがクルマを所有していることも、運転免許を持っていることも知らなかったことだ。
母はともかく、そんなに長い間同居していて、気が付かないものなのだろうか?
もっとも、バンブは未だに洗濯機や電子レンジの使い方も知らないという、いわば仕事人間で仙人みたいなところがある人なので、無理からぬところもあるが、それにしても気が付かないのには、こちらも腰を抜かしそうな話である。
とにかく、警察であなたの妹ですね、と聞かれ運転中に亡くなったならうちの妹ではありませんと言い放ち、一悶着あったというから、まさに母とバンブには青天の霹靂で、妹を失った悲しみよりも、オミヨさんが運転免許を持って、車を運転していたことの、驚きが大きかった。

オミヨさんは、昭和4年12月8日生まれ、真珠湾攻撃の日が誕生日だったので、わたくしの記憶にある。
17で三味線の名取になる、いわばその筋の天才肌で、ただそのことを生かさないで、10代で結婚、出産した。
以降のことは、わたくしも詳しくは知らないが、わたくしの母が病気がちだったので、よくオミヨさんの家に預けられたので、いろいろと面倒を見てもらった。
昔風のおかみさんのようなところがあり、軽妙にして洒脱、和服の似合う人だった。

わが家系では35年ぶりの葬儀で、オミヨさの息子夫婦(わたくしにとっては従兄弟に当たる)と母とバンブ、それにわたくしの5人での密葬となった。
長姉には知らせないことで母とバンブで意見が一致し、故人の意志もあって、このような密葬となったのだが、いわば真の意味での近親者だけの葬儀は、経験したことがなく(そのような葬儀に他者であるものが出席できないのだから、わたくしの近親者で経験するよりない)少し戸惑いを覚えたが、あまり縁のないものが集まったり、故人そのものには会ったことがないが、故人の係累の知り合いと言うだけで参列するものがいたり、とかく形式化された葬儀とは一線を画していた。
香典も花輪もなく、見知らぬ顔もない、このような何か心のこもった葬儀に触れ、故人に別れを告げ、埋葬すると言う儀式の中に、自身の故人との思い出が連なり、涙こそ出なかったが、心が静かに嗚咽するのを感じた。
母とバンブは、苦しまないで死んだことをせめてもの慰めと感じ、あたしも死ぬ時はこうありたいものとしきりに呟いていた。

最後に棺が焼却炉に入る直前にバンブが「オミヨさようなら」と言ったコトバが心に焼き付いて離れない。

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