慣れ1

2004年1月18日
人は誰でも、初めてのことがたくさんある。
初めて学校に登校した日、初めての修学旅行、初めての職場、初めての・・・。
最初の頃は新鮮だったものや、初々しかった気持ちやものが、段々に慣れてくる。
慣れてくると、最初の頃の緊張感は薄れ、(それはそれで良いところもあるが)刺激がなくなり、飽きがくる。

この慣れとは一体なんであろうか?
察するに、人は幾度となく繰り返すことによって、最初の頃の手続きを省略したり簡素化しようとしたりする心の働きをあらかじめ持っているかのようである。

クルマの運転に例えるなら、最初の頃は何もかも注意していて、一度運転するとかなり疲れる。
どんな種類の交差点や、徐行区域などで、必ず注意しながら徐行したり、反対に安全に見える危険な場所で、不注意であったりする。
それが徐々に慣れてくると、そんなに気を配らなくても平気な場所や、反対に見通しの良いところで注意しなければならない場所を、覚えてくる。

言ってみれば、注意の仕方がパターン化し、一々判断するのではなく、雰囲気であるとか、勘が働いて、機能し始めるのであろう。

これは何もクルマの運転に限ったことではなく、一般に人間の能力に備わったものであると考えても良いだろう。
ほとんどの時代や場所で、既成概念が作られ、先入観で誤りが生じるのも、おそらくはこの機能が大きく影響していると考えられる。

初心に帰ってというのも、実はこのような機能が備わっているために、新鮮な目で事実を確認したり、今までの中のものから新たなものを発見することが難しくなることへの警告の意味も含まれているかのようである。

このように、人間の生活において非常に便利で、様々な発達や進歩を促す機能が、その機能ゆえに目を曇らせ、既成概念で縛りつけ、先入観で誤らせるのも、奇妙な話である。
願わくば、自分たちの犯した過ちにも、そのような曇った目ではなく、初心に帰ったような思いで、見て欲しいものである。

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