スキンシップ

2004年1月22日
人の肌のぬくもりは、温かなものである。
心を癒す効果があると言われている。
幼児期に、スキンシップが必要だということはあちらこちらの本に書かれているところを見ると、心の発育には、必要不可欠な物であるのかも知れない。

幼子を膝に抱いて、本を読んであげることの大切さを、訴える人も多くいる。
だいたい人生において、背後から声が聞こえ、その振動と人肌のぬくもりが身体に伝わるなどという経験は、幼いときのホンの一種の出来事でしかないだろう。

それが大切なのはわかるのだが、それらがないから犯罪が多くなったとか、今の子供は愛情に飢えているというのは、誤った見解だと思う。
逆に、そのようなスキンシップを他者より多く受けたから、その人が社会的に立派な愛情のある人に育つというものも、インチキくさい。

人は本来持たなくても良い、自我などと云うシステムを、進化の弾みと云うか、何らかの圧力で持ってしまった、生物界の奇形児、異端児である。

だから、人間社会の中で語られる愛情や優しさは、動物などが本能的に持っているものと異なるし、似て非なるものである。

こどもの頃に、そのようなスキンシップが全く無かった人々を多く見てきたが(もちろんこれは当の本人がそういってるのであって、その人の両親や近親の人々は異なった意見や見解を持っているかも知れないが)その人に、特に他者とは明らかに異なる愛情の欠如や冷たさを感じることはほとんどなかった。

むしろ、スキンシップが足りなく、求めていたので、それらを大切にする人さえ多くいて、そのスキンシップをあまり受けたことが無いゆえに、どのように振舞えばよいのかの当惑はあっても、それらを尋ねたり、ものの本を読んで勉強していることなどかいま見て、スキンシップを多く受けた人より、愛情や優しさを真剣に考えているように思える。

考えてみればこれらのことは、当然であり、幼い頃に、自身の意識が成熟していない頃から与えられたものは、何の疑いも無く受けいられるのに反して、自身の意識の成熟した頃に不足しているのものは、意識化され対象化される。

育児の過程において、スキンシップが大切なのは、確かに一面の真実であろうが、むしろそのようにスキンシップを与えたのだという、親の満足の方が大きいのではないかと思う。

もういい加減、このような眉唾な論理に踊らされるのは止めにしたらどうだろうか?

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